まず、確認しておきたいことがあります。
それは「 ユダヤ人」 について「定義」です。
まず第一に、「民族」(人種)としての「ユダヤ人」です。
元々のユダヤ人はアラブ人と同じ「有色人種」です。ですから、 キリスト教に「普及」した「肌の白い」 イエス(キリスト)や 聖母マリアは真っ赤な「ウソ」なのです(実際には「浅黒」かったらしい)。
第二に、「ユダヤ教徒」 としての「ユダヤ人」です。
現在、「祖国」(イスラエル)へ帰還している「ユダヤ人」は、白人から黒人な迄様々です。
なぜ、「肌の色」が違う(つまりは、人種が違うと言うこと) のに、同じ「ユダヤ人」なのか?それは、彼らが「ユダヤ教」の信者だからなのです。
以上の様に、「民族」としてのユダヤ人と、「ユダヤ教徒」としてのユダヤ人があると言うことを頭の隅に入れて置いて下さい。
それでは、いよいよ本題に入っていきましょう。
8世紀、カスピ海・黒海の北岸一体のとある国が 国民総出で「ユダヤ教」に改宗しました。
その国の名を「ハザール」(Khazaria)と言います。
彼らは、6世紀から8世紀にかけて北アジア(キルギス高原から南ロシア・キプチャク草原に至る広大な地) に覇を唱えた遊牧騎馬民族の帝国「突厥」(テュルク:「トルコ」の語源となった)の流れをくむトルコ系遊牧騎馬民族でした。
657年、東西に分裂した突厥の内の一つ、西突厥(葉護突厥:ヤブグ・テュルク)が滅亡した際、可汗(カガン:「皇帝」に相当)だった安史那氏を自らの民族の可汗に迎え、7世紀初頭、国家を樹立しました。
これが、「ハザール汗国」と呼ばれるものです。
その後、ハザールは突厥以来の精強な軍事力で領土を拡大し、8世紀に最盛期を迎える。
しかし、ここで「ある決断」 を迫られたのです。
当時、ハザールは東にイスラム教を奉じるイスラム帝国(アラブ人)、西にキリスト教(東方正教会)を奉じるビザンティン帝国(東ローマ帝国)の、二大超大国と国境を接していました 。
そして、双方から自らの宗教(イスラム教とキリスト教)への改宗とするよう、迫られていたのです。
しかし、これはハザールにとって大きなジレンマでした。
ビザンティン帝国・イスラム帝国双方共、敵に回したくはないハザールは、結局、キリスト教ではなく、イスラムでもない、第三の宗教「ユダヤ教」を「国教」として選択したのです。
ご存知かとは思いますが、キリスト教もイスラム教も根は同じで、ユダヤ教は「啓典の民」として差別される事はなかったのです。
これで、ハザールも安泰かい思われたのですが、ビザンティン帝国の謀略やら、国内諸民族の紛争・国土の荒廃・経済基盤の崩壊によって9世紀には衰亡。
10世紀についに国家が消滅し、ハザール人は各地は離散してしまったのです。
そして、この時、ヨーロッパに入ったハザール人改め新・「ユダヤ人」の内、ある者は「ヴェニスの商人」に代表される商業・金融の中核へ、又ある者は各国政界の中枢へと食い込んでいったのです。
そして、迎えたのが20世紀…
ちらへ改宗しても角が立つ!?
キリスト教に改宗すると・・・
ビザンツ 帝国
ハザール 汗国
VS
イスラム 帝国
→イスラム帝国を敵に回してしまう
イスラム教に改宗すると・・・
ビザンツ帝国
VS
ハザール汗国
イスラム帝国
→ビザンツ帝国を敵に回してしまう
第二次世界大戦が終結して間もない1948年、突如、パレスティナに一つの国家が樹立されました。
その国の名を「イスラエル」と言います。
その後、イスラエルはアラブ諸国と幾度と無く戦火を交え(中東戦争)、聖都イェルサレム・ヨルダン川西岸・ガザ・南レバノン・ゴラン高原・シナイ半島(後にエジプトに返還)と言った地域を占領しました。
さて、ここで前述のハザール人が再び登場します。現イスラエル首相・ネタニヤフを見てもお分かりの様に彼は明らかにコーカソイド(白色人種)-つまり、ハザール人です。
聖書に登場し、バビロン捕囚に消えた「契約の民・ユダヤ人」では無いのです。
そして重要な事は、現在のイスラエルを実際に動かしているのは彼らハザール人(偽ユダヤ人)だと言うことです。
確かに、イスラエルには正真正銘のユダヤ人もいます。
しかし、彼らはあくまでも「二等市民」でしか無いのです。
その待遇は、非占領民であるパレスティナ人と何ら変わりが無いのです。
富めるハザール、貧しいユダヤ人。
これが現代イスラエル社会の「現実」なのです。
現在、ユダヤ人と呼ばれる人々は、アブラハムの子孫ではないハザール人(白人)!!
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/-5614/usi3.html より

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